三五館シンシャ

なくし物はなんですか?

倒産する出版社に就職する方法・第42回

 

私が不動産屋と血みどろの死闘を繰り広げているあいだ、わが三五館シンシャでは出版社にとってたいへん嬉しい出来事が出来しておりました。

重版です。

9月22日配本『買いものは投票なんだ』が、発売から1カ月半のあいだに、2度の重版をかけることができました。

「重版」とは「版」を「重」ねると書きます。おなじ「印刷版」を用いて、重ねて刷っていくことを指します。『買いものは投票なんだ』は初版を発行したあとで2度重版をかけたので、現在3刷となりました。

重版時に編集が行なうべき仕事の一つが重版訂正です。

本連載の第35回「正誤表の作り方」でも紹介したように、本が刷り上ったあとで、「あっ、しまった!」ということが起こります。その折は、藤原ひろのぶ氏のトンチにより、危機をなんとか回避しましたが、そうした間違いも修正できるチャンスがこの重版です。

初版時のミスをこのタイミングでしれっと修正して、元からそんな間違いしてませんよ、みたいな顔で重版が書店に並ぶのです。

デビュー当時よりも眼が大きくなったり、鼻筋が通ったりするアイドルみたいなものです。元々こうですけど、みたいな顔してますが、しれっとイジッとるわけです。で、ちょこちょこイジッて何年かするうちに最初と顔全然違っていても、本人は本人なのです。

 

 

『買いものは投票なんだ』の配本後、読者の方からメールで問い合わせをいただきました。

 

『14頁、「自然」の「然」の字の下の点が3つしかありません』

 

本を取り出し、すぐ確認です。14ページ、どうなっているのでしょう。

 

……。

たしかにページの左上に著者の手描きで「自然」と描かれていて、この「然」の下の点、いわゆる「れっか」という部首、これが3つしかありません。

 

やべえ。

 

手描きの漢字は一つずつ注意して見ていたはずですが、れっかの点が1つ欠けというのは盲点でした。間違い探しレベル5です。

そのすぐ下を見ると、おなじく手描きの「不自然かな」の「然」の字も点が3つしかありません。

こうなると単なる描き間違いではなく、著者のなんらかの主張なのかもしれません

著者・長澤美穂氏に電話して確認します。

 

「読者の方から指摘がありまして。手許に本ありますか? ちょっと14ページ見てほしいんですけど。……開きました?」

「うん、開いた」

「ここ、長澤さんの手描きで自然の然っていう字あるじゃないですか。この下のところ、点が3つじゃないですか」

「うん」

「点が3つじゃないですか」

「うん」

「点が……」

「うん」

「……3つ」

「うん」

「……」

 

「…………で?」

 

 

……で?

 

 

「いや、ここは点が4つ入らないといけないじゃないですか」

「そうなん?」

 

 

……そうなん?

 

 

「習った?」

 

 

 

俺は、習った。

俺は葛飾区立清和小学校で習った。

 

しかし、それも30年以上も昔の話。学習指導要領が詰め込み教育を脱却すべく、「生きる力」を重視した内容に改訂されたというようなことも耳にします。

れっかの点一つくらいなんだというのでしょう。れっかの点をなくしても、こうして生きる力に満ちあふれている人だっているのです。心配要りません。そのうち、洗濯のときにでもズボンの後ろポケットあたりからポロッと出てくるはずです。

 

「とりあえず一般的にはこれは間違いなので、重版で訂正しましょう。こちらで対処させていただきます」

「うん、そうして。ありがとう」

 

こうして本書も重版でのお直しを繰り返しながら、しれ~っと少しずつ綺麗になっていくのです。

 

 

「あっ、ちょっと待って。重版って、もう一回新しく印刷するっていうことなんでしょ?」

確認を終えて電話を切ろうとした私に長澤氏が問いかけます。

 

「ええ、そうです。なので、そのタイミングで文字の間違いとかは直さないといけないんですよ」

「だから、重版するときには修正入れられるっていうことだよね」

「はい、そうですが」

「っていうことはさあ、今回の重版で、本文の色も一緒に直せるっていう……」

 

 

ああ、聞き取りにくい……。

それまでたいへんクリアに聞こえていたのに、なぜだか電波の受信状況が急に悪化してしまったようです。長澤氏の話は途切れ途切れで雑音まじりになり、残念ながらそれ以上よく聞き取れなくなりました。

仕方なく私はそっと画面をスワイプし通話を終わらせ、続けざまにボタンを長押ししiphoneの電源を落としたのでした。

(つづく)