三五館シンシャ

新聞広告と魔物

倒産する出版社に就職する方法・第51回

 

 

年明け早々、私はある悩みの渦中にいた。

やるか、やらないか――。

11月に出した『家賃は今すぐ下げられる!』、1月に新刊として出す『食べなきゃ、危険!新装版』、この2点について新聞広告を出稿するかどうかの決断を迫られていたのだ。

 

新聞紙面は「段」というブロックで区切られ、もともとは15段で構成されている(現在は活字が大きくなった影響で多くの新聞が12段になっている)。その15段中の3段分のスペースを縦に8つに割っていることから「サンヤツ(三八)」と呼ばれるのが一面の下欄に位置する広告スペースだ。二~四面には、15段中の5段分すべてを使う「全5段」、その半分の「半5段」という広告スペースも存在する。サンヤツに比べ、スペースが大きい分、こちらは広告料金が跳ね上がる。

私が頭を悩ませる理由の一つは、この広告料金である。新聞の部数減にともない、広告費も下落傾向にあるとはいえ、それでもなお高額である。広告費を本の実売だけで回収しようと考えたとき、新聞広告は必ずしも費用対効果に見合う策ではないのだ。

とはいえ、書籍の購買層にアプローチしようとすれば、新聞読者というのは欠かすことのできない対象でもある。さらに新聞広告には、書店や取次へのアピール、著者・関係者への出版社としての姿勢の表明という要素も含まれている。

これらと金額をはかりにかけ、大げさにいえば資金面での収支も想定した上でこの賭けに出るかどうかを決断しなければならない。

 

1月11日夕方、広告代理店との交渉は大詰めを迎えていた。

幾度かのやりとりを経て、「この額まで下がれば」と腹づもりした金額はすぐそこまで来ている。もう一押しで決着する寸前、私は電話交渉を中座し、事務所を飛び出した。

妻が残業のこの日、私は19時までに学童保育所と保育園に2人の子どもを迎えに行かなければならないのだ。

2人の子どもを迎えに行き、夕食の用意を整えた後、息つく暇もなく私は再び代理店とのシビアな交渉に戻る。

再度の交渉において、代理店担当者は最終的にこちらの希望額を呑んだ。この瞬間、新刊2点の読売新聞紙上でのサンヤツ広告が正式に決定した。

 

 

「パパァ!?」

 

1階の居室のドアを閉め電話をしていた私に、2階からの声が響く。食事をしているはずの次男が私の不在を不審に思い、問いかけてきたのだ。

金額交渉は決着し、代理店とのテーマは広告掲載日に移った。広告を掲載するのは平日か、土日か。

息子よ、もう少しだけ待ってくれ。もう少しで終わる。

 

「パパァ! 何してるのぉ?」

 

次男の声がもう一段大きくなった。私に選択の時間はもうあまり残されていない。

出版社はその本の読者層を想定し掲載日を決定する。ビジネス書なら、ビジネスマンが出勤前後に読むことを想定し、平日に打つのが一般的だ。書籍ごとの内容に応じてもっとも効果的な日取りを検討するのだ。

 

「ねえ! 何してるのぉ?」

 

平日か、土日か。今回の内容的には休日にゆっくり見てもらったほうがいいだろうか。

息子よ、もうちょっとだけ待て。心の中でそう祈りながら、掲載日を思案する。

が、願いむなしく、反応のなさに業を煮やした声の主は一歩ずつ階段を下りてくる。

 

 

「パパァ!? うんちしてる中!?」

 

「まかす!!!!! 平日でも土日でもまかせます! どっちでもいい!」

階段から聞こえてくる問いかけを打ち消す音量で私は叫んだ。

切りてぇ。とにかく一刻も早く、この電話切りてぇ。

 

幸い電話の向こうの代理店担当者に次男の声は届いていないようだ。反応が楽しみですねなどとトーンを変えず悠長に話し続けている。

金額も掲載日も決まり、私にもう話すことなど何もない。

はい、終わり。もういいよね。ヤバイ奴来てっから!すぐそこまで来てっから!!危ないの!早くッ!ねえ早く切って!!!!!

 

そして、足音はついに1階に降り立った。

 

 

「パパァ!? うんち拭いてる中?」

 

規格外のクエスチョンとともに、勢いよく向かいのトイレのドアが開け放たれた。

挨拶もそこそこに私はiphoneの通話終了ボタンを連打した。

――最後の問いかけが担当者の耳に届いたかどうかはわからない――

 

 

「なんだぁ、ここで電話してたのかぁ」

部屋のドアを開け、私を見つけた息子は安心したようにそうつぶやく。

こちらを見つめ、いたずらっぽく笑う息子を、私は思い切り抱きしめた。(ベアハッグで)

(つづく)