三五館シンシャ

シンシャ

三五館シンシャの「シンシャ」ってなんじゃ?ということですが、「河出書房新社」「中央公論新社」と同じ「新社」であり、さらに倒産によってご迷惑をおかけした方々への深いお詫び、そして立ち上げにあたってご支援をいただいている皆様方への感謝(=深謝)を含意し、カタカナの「シンシャ」で登記しました。

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2017年10月5日、創業者から社員一同に「三五館は倒産し、事業も清算する」旨が告げられました。

「三五館が終わる…」

嗚呼、終わることなんてあるのですね。

1999年、出版社に憧れを抱いて志したものの、時代は就職氷河期……言い訳はいけません、人間力の決定的な不足により連戦連敗。

それでもあきらめきれぬ青年は片っ端から出版社へ電話をかけていきました。

I社、G社、P社……不況を生き抜く出版人はみんな優しかった。どこの馬の骨ともわからぬ人間からの「代表者の方いらっしゃいますか?」という怪しげな突然の電話に、ご対応いただき、とりあえず会ってはくださいました。(お会いいただけた皆様には今でも感謝しています)

しかし、なかなか念願はかないません。

それでも、どんなことがあっても出版社に入ることだけは決めてしまっていたので気は楽でした。不採用になって当たり前。一つ不採用を言い渡されたら、次のところに電話をするだけです。

そして数社目、2000年4月、たどり着いたのが四谷・新宿通りに面していた三五館でした。

この出会い、今となっては、三五館にとっても、私にとっても運の尽きだったのかもしれません。残念ながら時計の針は戻せません。

以来、辞めようと思ったこと4~5回、創業者を殺害しようと思ったこと1~2回、しかし辞めもせず、殺害もせずに17年と8カ月が過ぎ、いつのまにか私自身も三五館の一部になっていたし、三五館もどういうわけか私の中に流れ込んでしまったようです。

創業者がつねづね口にしていたのは「日本一の出版社になる」でした。(言論の自由)

お読みになっているみなさんもそうでしょうが、私ももちろんそんなことは信じられませんし、信じてもいませんでした。

SMAPもナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワンなんだと歌っていましたし、それでいいじゃないか、と。

ただ、三五館が私の中に流れ込み、心身が蝕まれゆく過程で、「そんな夢を見るのも悪くない」と思い始めていたのかもしれません。(心神耗弱)

しかし、三五館が事業清算してしまえば、そんな夢を見ることももうできなくなってしまいます。

もともとその可能性が0.0何%だかはわかりませんが、ゼロと0.000何%とは、つまりまったくないのとほんの少しでもあるのとでは、天と地ほどの違いがあるのです。

もう少しだけ夢を見させてはいただけませんか。(心神喪失)

三五館の一員として、倒産によって多くの方々にご迷惑をおかけした事実は消えません。

著者の方をはじめとする関係者、関係業者の皆様にはご迷惑をおかけしました。そして取次関係者、特に書店員の方々には、三五館の在庫を多くお持ちいただいたところほど、迷惑をかけていることについて忸怩たる思いがあります。これは私が今後出版業界で生きて行くうえで背負っていかねばならない刻印でもあります。

ただ、18年前に勝手に「出版社に入る」と決めたときと同じように、もうどんなことがあっても「三五館をやる」と決めてしまったのです。多くの皆様に満腔の深謝を込めつつ「三五館をやる」と決めたのです。

三五館シンシャ、始めました。

2018年2月吉日