三五館シンシャ

『メーター検針員テゲテゲ日記』全国書店&ネット書店で発売中

なにを言われても、理不尽に叱られても、申し訳ありません、と謝ることしか許されない末端の仕事。
著者はなぜ、外資系企業年収850万円を捨てて、電気メーターの検針1件40円、月収10万円の世界に入っていったのか。彼女とも別れた。それでも、社会の役に立ち、慎ましく、楽しく生きたいと願った。人間の原型のような人が見、聞き、体験した日々のさまざまな哀歓。
ひとつ違えば、著者はわたしだったかもしれない。
読後、じっと手を見てしまった。
――勢古浩爾(評論家、エッセイスト)

計器番号を照合し、指示数を読み取り、入力して確認して……1ケ所で8回も数字を見なければならないとは、もはや数字と対話する専門家ですね。
2323に「兄さん、兄さん」と呼びかけられ、1818に「いやいや」と照れられるのもごく自然な流れ。
でもそうやって「数字の意味」「数の表情」を読み取ってしまうと、雑念が湧いて誤検針をやらかしてしまうらしい……。あえてマシーンになりきって、意味も表情も振り払って機能せねばならぬ。そんな禁欲の悲哀あふれる文体は、「無意味という意味」を日々かみ砕く検針員という仕事ならではの気づきに満ちている。いや、やはり著者独特の素の感性がものを言ったのか。素直に考えれば、電気メーターの数字は、確かに「生活の意味」を表現しているはずなのだ。
「意味」を拒みながら町の細部へ、細部の意味づけへますます誘惑されてゆく著者の、哀しくも可笑しい路上観察記である。
――三浦俊彦(東京大学教授、作家)

あの年の夏は暑かった。
太陽が照り付ける中、原付で鹿児島の街を走り回り電気メーターの数字を端末に入力した。原付での移動で顔に感じる風だけが心地いい。稼ぎは多くはないが生きている実感があった。
……九州には佐世保にちょっと行ったことしかなく、メーター検針員も、それに似た仕事すらしたことがないのにすっかりその気になっていた。
下請け仕事のつらさ、仕事の過酷さが圧倒的にリアルで楽でも楽しくもなく憧れの仕事でもないのだが、一度はやってみたい。原付を走らせ、番犬やスズメバチの巣に警戒しながらメーターを読み取り、端末に入力してみたい。スマートメーターへの変更で電気メーター検針の業務自体が滅亡寸前であるというのが残念だ。
――古泉智浩(漫画家)

今までほぼ字面だけでしか捉えていなかった電気メーター検針員という職業。
本のページをめくるたびに、この職業が、そして「人間」がくっきりと浮かび上がってくる。
踏みしめてきた足跡が見える。食いしばる歯の音が聞こえる。
誰もジャッジすることなどできない「生きていくこと」のざらついた手触りを感じる。
メーター検針1件40円。僕も数えきれないほどの「ありがとうオリゴ糖」を叫んで生計を立ててきました。
炎天下の「ありがとうオリゴ糖」や、雪の日の「ありがとうオリゴ糖」がありました。
時には泣く泣く「ありがとうブドウ糖」で手を打ちました。
これは電気メーター検針員というひとつの職業の物語ですが、すべての職業に通ずる物語でもあると思います。
世の中に必要なくなる日が来るまで、いや、たとえ必要とされなくても、僕はジョイマンという職業を続けていきたいと思います。
覚悟を持たせてくれた『メーター検針員テゲテゲ日記』と著者の川島徹さん、ありがとうオリゴ糖!
――ジョイマン・高木晋哉(お笑い芸人)