三五館シンシャ

メビウスの輪

倒産する出版社に就職する方法・第72回

 

「1章ぜんぶ書き直す」って、この期に及んで何を言っちゃってるんでしょうか。

自動販売機に百円玉入れれば缶ジュースが出てくるように、印刷所に原稿渡せばゲラが出てくるわけではないのです。

ゲラにする際には、元の原稿に「誤脱字の修正」「用字用語の統一」「数字表記の統一」「事実関係の確認」などを行なったうえで、「文字の大きさ」「書体」などの指定書を作成し、印刷所に組版指定を行なうのです。それをもとに印刷所が組版を行ない「ゲラ」を出します。

たとえば「用字用語の統一」とは、同一出版物上での語句の表記を統一する作業です。

「分かる」「分る」「解る」「判る」「ワカル」……全部「わかる」で間違いではありませんが、これらが混在すると読みにくいので表記を統一しなければなりません。

「ぼく」「僕」「ボク」も、さらに「私」「オレ」「おいら」も間違いではないのですが、同じ本の中では著者の自称は統一されたほうがいいでしょう。ほかにも、「コミニュケーション」じゃなくて「コミュニケーション」だし、「シュミレーション」じゃなくて「シミュレーション」なのです。

新聞社には「新聞用字用語集」というものがあって、その基準が細かく定められています。新聞社ほどはっきりしていないものの、出版社にもある程度の基準があります。三五館シンシャでは、私が三五館時代に叩き込まれた「三五館用字用語集」をベースとしつつ、本の内容や対象読者によって多少変えています。

ほかにも「……」とか「――」のような記号の統一も行ないますし、難解な漢字に関してはルビをふるかどうかも吟味します。こうした地道な作業の結晶が「ゲラ」です。

「1章ぜんぶ書き直す」ということは、1章についてゲラにするまでの作業がすべて水の泡になるということです。

果たして、その重大性がわかっているのでしょうか?

 

「あのぅ、書き直すって簡単に言いますけどぉ、ゲラの入稿前にやる作業ってのがいろいろとあってですねぇ……」

 

私はたまらず、編集作業の詳細を藤原氏に説明しはじめました。

 

「たとえば用字用語の統一というのはですねぇ……」

 

たしかにふつうの人にとって編集作業というのは身近なものではない。ここは、編集過程において実際にどのくらいの作業が生じているかを知ってもらうべきでしょう。

 

「……というような作業がぁ、書き直されると全部無駄になるんですよぉ。それで新しい原稿が来たら、それをもとに誤脱字、数字表記、用字用語ぜんぶまたイチからやらなくちゃいけないわけでぇ。わかりますか?」

 

事の重大さに気づいたのか、沈痛な表情で聞き入っていた藤原氏がようやく口を開きます。

 

「……そうなんや」

「……そうなんですよ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……じゃあ、1章ぜんぶ書き直すわ」

 

!!!!!!!

 

聞いてた? 俺の話。

 

10分前の出来事がまた起こったのです。

時空のひずみの中、私はいつのまにかメビウスの輪に巻き込まれてしまったのかもしれない。この輪の中では、何百、何千回生まれ変わり、いつの時代、どの地域のどんな家に生まれ、どんな人生を歩もうとも、いずれ「1章ぜんぶ書き直すわ」に遭遇するのです。決して「1章ぜんぶ書き直すわ」から逃れることはできない。釈迦が説いた苦しみの根源こそ、この「1章ぜんぶ書き直すわ」です。ヤバい。ヤバすぎます。

 

ここから抜け出るすべはたったひとつ。あの呪文を唱えるしかない。

悲嘆の中で私はようやく一言ひねり出しました。

 

「……わかりました。1章ぜんぶ書き直してください」

(つづく)