三五館シンシャ

なんかちゃうねん

倒産する出版社に就職する方法・第71回

 

さあ、カバーに使う写真は決まりました。

デザイナーに電話し、使用する写真とおおまかなデザインのイメージを伝えます。写真を確認したデザイナーからの「はぁ…」というため息は聞かなかったことにし、これでカバーはラフがあがってくるのを待つのみとなりました。

 

さて、続く課題は本文です。こちらもまだまだ課題は多いのです。

9月初旬のこの段階で、私と著者・藤原ひろのぶ氏の手元には『ぼくらの地球の治し方』の再校ゲラがあります。

ゲラとは、印刷物と同じレイアウトで組まれた試し刷りのことで、1回目のゲラを「初校ゲラ」、2回目のゲラを「再校ゲラ」、3回目を「三校」、4回目を「四校」(以下略)……と呼びます。

ゲラごとに著者と編集者、場合によっては校正・校閲者などがチェックをして、修正を入れ、印刷所に戻して、新しいゲラを出し、再びチェック……という手順を経ます。

もちろん、今回の本でも同様です。われわれの手元にあるのは1回目のゲラを印刷所に戻し新しく出てきたゲラ。つまり、一度、著者と編集者がチェックを済ませたものなのです。

2週間ほど前、私は藤原氏に初校ゲラを送り、「直したい箇所や加筆したい箇所があれば、このゲラに書き込んでください」とお願いをしました。

数日後、案の定、予定通りには返信などないので、直接電話して確認しました。

「初校ゲラのチェックしていただけましたか?」

「あ、ああ。……まあ、ええんちゃうの」

著者から「ええんちゃうの」をもらった私は安心して、初校ゲラに自らの修正を施し、印刷所へと戻したわけです。そして出てきたのがこの再校ゲラなのです。

 

 

「なんかちゃうねんな」

 

再校ゲラを前にしての藤原氏のつぶやきです。

 

「なんかちゃう?」

「ちゃうねん」

「ちゃう?」

「ちゃうんや」

 

なんか、ちゃうちゃう言ってるのです。不穏です。

初校ゲラのときは確かに「ええんちゃうの」と言っていたのです。それがここに来て突然の「なんかちゃうねん」です。あのときの「ええんちゃうの」はどこへ行ってしまったのでしょうか。「ええんちゃうの」はもうここにはいないのです。千の風になって大きな空を吹きわたっているのです。

 

しかし、著者として「なんかちゃう」という気持ちが出てきたのはよいことでもあります。それは原稿内容をさらに進化・深化させることにもつながるからです。

「藤原、初校ゲラまったく読んでなかった」説が濃厚ですが、そのことには触れないでおいてあげましょう。もう水に流します。私は藤原氏を気づかいながら、やさしく声をかけました。

 

「わかりました。では具体的にどこをどう変えたいんですか? スケジュールが厳しいとはいえ、まだ少し日程はあります。ゲラの修正したい箇所に朱(あか)を入れてください」

「……」

 

藤原氏は押し黙ったまま、顔を伏せ、じっと手元の再校ゲラを見つめています。

初校ゲラを読まなかった著者を非難することもなく、ここまで来てなお著者に自由に表現させてあげようとする編集者の包容力と真心に胸がいっぱいなのでしょう。あるいは、これまで編集者にかけ続けてきた迷惑に思いを致し、悔い、真人間としての心を取り戻し、落涙しているのかもしれない。

 

 

もう、ええねん。

わかってくれれば、それでええねん。

校了を目前にようやく著者と編集者のあいだにお互いを尊重しあい、慈しみあう心が生まれたのです。

藤原氏が顔を上げました。

 

「どこがどうちゃうかがまだわからへんから、1章ぜんぶ書き直すわ」

 

!!!!!!!!!!

(つづく)